「釼龍山永泉寺(けんりゅうざんようせんじ」と「鮭の大助小助(おおすけこすけ)」
枡川ふ化場のすぐ近く、永泉寺(ようせんじ)の前を流れる滝渕川には、遠い昔から鮭が沢山遡上した歴史があり、永泉寺には「鮭の大助小助の物語」が伝承されています。
“「鮭の大助 今のぼる。鮭の小助 今のぼる。」と叫びながら鮭が川を登り、「この声を聞いた人は死んでしまう事から賑やかな祝いをし、その声を聞かないようにした」”と言うのです。
川魚を代表する鮭の大助はまさに川魚の主であったため、重要な魚として、人々は畏敬の念を抱きこのような伝説として言い伝えてきたのだろうと私は考えております。
*「鮭の大助小助」伝説は遊佐町に限らず内陸地方や岩手県などにも広くそれぞれの地域独特な形で伝わっています。
平成16年、この伝説を裏付ける出来事がありました。永泉寺(ようせんじ)のすぐ隣にある私たちのふ化場から貴重な発見があったのです。
鮭のふ化に必要な井戸を掘る過程で取り除かれた残土の中から、絵模様が刻んである石を偶然に発見したのです。
山形県で初の、数千年も昔の縄文人が石に刻んだ魚と思われる絵(文刻石)です。
彼らがどんな想いで何を意味して刻んだものなのでしょうか。
この石を眺めると、鮭を通して縄文時代とつながる…壮大なロマンを感じます。
*文刻石は枡川ふ化場にございます。
先祖代々、永泉寺がこの地域の大事なお寺であることはもちろんでしたが、この石の発見によって、鮭の組合としても大切にしていきたい場所になりました。