歩み

碑文 鮭人口孚化記念

吾菅原源吉君ハ實業界ノ異材也夙ニ山堅ヲ開拓シテ率先芋果ヲ栽植シ骨粉之効果ヲ認メテハ諸種ノ噐械ヲ設備シテ自ラ製造頒布シ併テ石鹸ヲモ製造スルニ至レリ汽笛ノ声始メテ軣キ近郷ヲ驚カセシハ實ニ君ノ工場ヲ以テ破天荒ト為ス後養蚕ニ着眼シテハ自ラ盛ニ飼育奨励シ桑葉ノ缺乏ヲ患ヘテハ自ラ不毛ヲ開辟シテ良種ヲ移植シ蚕種ノ不良ヲ認メテハ自ラ製造頒布シタリキ想フニ君ノ性格ハ其手ノ触ルル所悉ク徹底的ニ其理想ヲ遂行セスンハ已ム能ハサルノ槩有リ晩年孵化㕝業ヲ企テ單獨經営セントセシモ許サレス
佐藤多兵衛佐藤與兵衛菅原多七菅原多助佐藤六蔵太田新治郎土門銕五郎諸氏ノ賛成ヲ求メ協心勠力大正五年五月漸ク其筋ノ認可ヲ得テ事業ヲ剏始シ併テ組合ヲ組織スルニ至レリ爾来消長有リト虽モ㝡近ニ於テハ三百万粒以上ヲ孵化シ其捕獲数貮千尾ヲ突破シ優ニ先進斯業界ヲ壓スルニ至レリ不幸ニシテ君此盛況ヲ看ルニ至ラスト虽モ其餘澤四囲ヲ潤ス者極メテ夛シ今ヤ嗣賢吾君舉ラレテ斯業ノ代表者トナリ活躍奮闘セラル前途其レ洋洋タルモノ有リ古昔滝淵川鮭魚麕至徒ニ狐狸ノ喰フニ委セリト傳フ爾来濫獲一尾ノ影ヲ止メサリシコト數十百年今ヤ復タ昔時ノ俤ヲ偲フニ至レル者一二以テ君カ努力ノ貺ナリト謂フ可キ哉爰ニ大要ヲ記シ感謝ノ微衷ヲ表ス云爾

昭和七年九月
友人 菅原吉之助 撰
前校長 荻原重逸 書
業企者組合員
太田新治郎  佐藤與兵衛 佐藤元太
尾形文太 菅原多郎吉 佐藤三津蔵 菅原善次郎

[現代語訳]

われらが菅原源吉君は実業会の異能の人で,山を開拓し進んで芋や果物を植え育て,骨粉が効くとなれば機械を揃えて自分で作って配り,せっけんすら製造し,工場で汽笛を鳴らし近隣を驚かせる破天荒な人であった.
後々蚕に目をつけて自分も育てながら周りの人に養蚕を勧めてまわり,エサの桑の葉が不足すれば荒れ地を開拓して優れた種類の桑を育て,蚕の種類が良くないことに気付くと自分で良い蚕を製造して配った.
私が思うには,君の性格はいったん手をつけたらすべて徹底的に理想を追求せずにはいられないようだ.

晩年になってサケふ化事業を思い立ち,単独経営でやろうとしたが許されず,佐藤多兵衛,佐藤與兵衛,菅原多七,菅原多助,佐藤六蔵,太田新治郎,土門銕五郎たちと心を一つに努力して大正五年五月にやっとふ化事業の認可を得てふ化事業をはじめ組合を組織することができた
最近では300万粒をふ化させ2000尾以上も捕獲,業界を圧倒するようになった.不幸なことに菅原源吉君はこの盛況を見ることなく亡くなったが,おかげで豊かな暮らしをしている者は多い.今やお子さんの賢吾君が奉られて組合の代表となって奮闘活躍し前途洋々である.

その昔,滝淵川に鮭がむらがっていたのに狐や狸が食べるに任せ,乱獲で一尾も見られなくなってから長い年月が過ぎた.今,昔の様子をしのぶ者数人は君の努力のおかげだというべきだ.ここにあらましを記して感謝の誠を表します.

ふ化場改修記念碑


私たちの理念は「豊かな海」を創ること

この事から北見管内・宗谷管内の先進孵化技術の指導を仰いだ
平成十八年度 水産庁が広域連携さけ・ます資源造成推進事業を発足
それを機に新枡川ふ化場の事業化に取り組み各行政機関の支援を得て完成したものである

ご指導頂いた皆様
北見管内さけ・ます増殖事業協会
宗谷管内さけ・ます増殖事業協会

平成二十九年三月二十一日
枡川鮭漁業生産組合
組合長 尾形修一郎
理事 太田 洋逸
理事 佐藤多輝雄
監事 菅原 鉄弥
監事 土門 正昭
施工業者 (株)高橋工業所 高橋 司
石工 庄司石材店 庄司 信悟
舘内 忠 謹書