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掛けた電話は、掛けた方から切る-1

遠くなった昭和40年代、月光川水系滝渕川には先代方の大変な努力が実り大量の鮭が遡上していました。

私は農業に就業していた関係もあり当時組合長をしていた祖父を手伝い、アルバイトを兼ねてその採捕採卵作業に従事していました。

 余計な話ですが、祖父が組合に加入したきっかけはふ化事業への先行投資が過大となり借財が積み上がり、その返済の為に入った(昭和の始め頃)と聞かされておりました。ところが、祖父が加入したとたん鮭が遡上し始めて来たと云うのです。

 それもそのはず、先行投資の効果が現れてきたのです。それを祖父は「これは自分の運だ。」と私に話してくれました。

 その後も鮭が順調に遡上し始めた為に沿岸定置での水揚げも多くなり船も大型に買い替えられ、それによる定置網が張られると鮭の遡上がピタリと止まり時化の時にしか川への遡上が見込めない程の多大な影響が出ておりました。その為、孵化場側と定置漁業者との言い争いが絶えない時期を迎えていました。

 この事については、山形県も中に入り調整を行っていましたが、孵化場側の思いは中々通る事はありませんでした。

 鮭資源を作り育てる孵化場側と鮭を採る鮭定置側が、二つの組織に分かれていたのが、そもそもの原因と思います(本州日本海側は何所も同じです)。

この関係がずっと続いた所、いよいよ鮭が遡上して来なくなり豊漁の時期は僅か10年余り、昭和50年代初めで終わってしまいました。

 再び、昔のような極度の不漁に陥り孵化場の存続さえ危ぶまれる状況となり、その後、長い長い出口の見えないトンネルに入ってしまったのです。しかし、この時は水産庁と山形県が動きました。

山形県からは、これまで勘に頼った孵化技術から科学的に裏付けられた孵化技術者の養成そして、水産庁からは膨大な発眼卵を日本海側だけでなく太平洋側へも北海道の孵化場から無償で提供いただきました。

 またこの間、鮭が遡上して来なくなったのは先獲りが大きく影響している?との判断から本州日本海側の孵化場が運動を起こし水産庁に働き掛けをし、鮭定置の網揚げ規制を行う事にもなりました。

 地元の鮭定置の代表は「海で取れる鮭は海で孵化する。」とまで言い張り、調整会議は険悪な空気の中で行われてきたようです。しかし、鮭は孵化場で安定的に放流しないと回帰しません。結局、地元の鮭定置は廃業に追い込まれてしまいました。

これらを振り返ると、時間も経過したこともありますが、世代も代わり考え方にも変化が見えて来たし、加えて不可能と思われた滝渕川の固有種後期群(北海道オホーツク地方でめじかになる鮭)も徐々に復活して長いトンネルの出口が見えて来た、果たして「鮭が遡上して来なくなったのは先獲りだけが原因だったのか?キャパシティーを超える無理な卵を抱え健康な稚魚を放流できていなかったのではないか」などです。

最初にアルバイトで関わってきたと記しましたが当時、時を同じくして北海道オホーツク地方で『めじか』が獲れ始めていたことを知りました。

この事に対してわざわざ、オホーツク地方から「『めじか』を獲らせていただきありがとうございます。」と見たこともない大きな乾燥ホタテを土産にお礼においでいただいことも知りました。

祖父たちは、鮭の豊漁が続いていたので忙しく、それ以上の交流には発展しませんでした。でも将来、この関係が構築出来たら私達の孵化場の役割は面白くなるのではないかと思ったものです。

—続く

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